貴女を探して
というわけでぴらつかですよ。祐巳×乃梨子SSですよ。
ちょっぴりシリアスタッチな微ラブって感じでしょうか。
今回はちょっとだけ長いです。たぶん『お弁当』の前後編をまとめてちょっと足が出るくらい。
そんなわけですので、いつもよりさらにお暇な方限定で追記からどぞどぞ。
ある土曜日の放課後。
掃除を終えた私が薔薇の館二階のビスケット扉に手をかけたところで、室内から会話が漏れ聞こえてきた。
「じゃあ明日、M駅に10時ってことでいいよね」
「ありがとう!」
この声は祐巳さまと由乃さまのようだ。
人の話を立ち聞きする趣味もないし、取り立てて気を遣わなければいけない内容でもなさそうだったので、私は特に気にせず扉を開けた。
……のだけれど。
「ごきげん――」
「祐巳さん愛してるっ」
私の目に飛び込んできたのは、二人きりの室内で抱き合う祐巳さまと由乃さま。
何も考えず扉を開いて、しかも最後まで言えなかったとはいえ挨拶付き。これで私の存在に気が付かないわけがない。
抱き合った状態のまま、ゆっくりとこちらを見る祐巳さまと由乃さま。そして扉を開いた状態のまま固まる私。
なんだろう、このシチュエーションは。
「……わっ! わわわわわ」
意外にも一番最初に反応したのは祐巳さまだった。
ぱっと由乃さまから飛びのき、「ご、ごきげんよ~」なんて赤い顔でおっしゃっているけれど、こっちは正直それどころではない。
しばらく状況の整理に躍起になっていると、由乃さまが訝しげに覗き込んできた。
「どうしたの、乃梨子ちゃん。いつまでもそんな所で突っ立って」
「あ、いえ」
そりゃアンタたちが抱き合ってたせいでしょうが、なんてことはもちろん言えない。
「まあいきなりあんなシーン見せられちゃ驚くか。ご安心を。ただのスキンシップよ」
「はあ」
そう言って、由乃さまはひらひらと手を振りながら自分の席へと戻っていく。なんとも堂々としたものだ。
その後すぐにメンバーが揃って会議が始まったのだけれど、正直なにをやったかはまったく覚えていない。
由乃さまはああ言っていたけれど、扉越しに聞こえてきた二人の約束とその直後の抱擁。そしてなにより、あからさまに「マズいところを見られてしまった」って顔をしている祐巳さまを見てしまった私は、安心など出来ようはずがなかった。
そして日曜日の午後。
私は今、M駅の駅前で途方にくれていた。
考えてみれば、電車もバスもあるこの場所で待ち合わせをした人がどこに行くかなんて、予想できるはずがない。
仮に会えたとして、約束もしていない私が祐巳さまと由乃さまを前にして、いったいなにができるというのか。
せいぜい挨拶をして「偶然だねえ」なんて笑い合って、それでおしまい。
たった、それだけ。
「はあ、なにやってんだろ……」
なんだかんだと自分の中で理由をつけてここまで来たものの、結局私はなにがしたかったのだろう。
いつだってそうだ。あの人に少しでも近付きたくて追いかけるけれど、どこまで行ってもあの人を見つけることができなくて。
そして私はまた誰もいない場所で立ち尽くすのだ。見失ってしまったあの人の背中を探して。
「ばっかみたい」
だいたい、祐巳さまと由乃さまのデート現場なんて目撃して、心穏やかでいられるわけがない。
なにも自分からノコノコと止めを刺されに行かなくてもいいじゃないか。
うん、今日はもうさっさと帰ってしまおう。
「誰が馬鹿だって?」
踵を返して歩き出そうとした瞬間、後ろから声をかけられた。
その声の方に振り返ってみると、そこには見知らぬ男性が二人、下品な笑みを薄く浮かべて立っていた。
育ちの悪さを全身で表現しているようなその二人組は、どうやら先ほどの私の独り言を自分たちに対する言葉と受け取ったようだ。
誤解を受けさせてしまったことは大変に申し訳ないけれど、今はお願いだからそっとしておいて欲しい。
「さあ、誰のことでしょうね」
「おいおい、ちょっとその態度はないんじゃないの?」
こういう手合いには下手に出ておくべきだったと思ったけれど、時すでに遅し。
そっけない態度で立ち去ろうとした私がお気に召さなかったらしく、行く手をふさいできた。
ああもう、邪魔くさいったらありゃしない。
「別に貴方たちに言ったわけではありません。仮に思ってても、わざわざ言うわけないじゃないですか」
「どういう意味だ、それ」
くそ、また一言多かった。
男たちの顔から笑みが消える。どうやら完全に火に油を注いでしまったようだ。
これ以上の話し合いはいろんな意味で危険だと判断した私は、今度こそ強引に話を打ち切ってしまうことにした。
「なにをそんなに怒ってるのか知りませんが、私は急いでるのでこれで失礼します」
そう言って、私は前をふさいでいた男たちを押し退けるようにして歩き出す。
このとき私は、いざとなったら足のすねか、ちょっとはしたないけれど股間でも蹴り上げて逃げればいいやと軽く考えていた。
しかし、人間という生き物は往々にして自分が期待しているほどの性能は発揮してくれないもののようで。
「おい、まだ話は終わってねえよ!」
男の一人に強く肩口を掴まれた瞬間、私の身体は何一つ言うことを聞いてくれなくなってしまった。
初めて体験する年頃の男性のその力は、私の都合のいい想像なんかとは比べ物にはならないほどのリアルな恐怖と緊張を全身に伝えてくれていた。
私は今更ながら、自分が取り返しのつかない事態へと踏み込んでしまっていることを自覚した。
「お待ちなさい」
唐突に響いた凛としたその声に振り返ると、そこにはなんと祐巳さまの姿があった。
その表情は今までに見たことがないくらいに真剣で、いつものツインテールではなく、後ろで一つにまとめられた髪型と相まって、とても大人びて見えた。
祐巳さまは、いまだ声すら出せないでいる私を横目で小さく確認して、かばうようにすっと私と男たちの間に入る。
「なんだよてめえは」
「私はリリアン女学園で生徒会長を務めさせて頂いている、福沢と申します。この度はうちの後輩がご迷惑をおかけしたようで、大変申し訳ありませんでした」
そう言って深々と頭を下げる祐巳さま。
しかし男たちは、若干の困惑の色はあるものの、依然その鼻息は荒いままだ。
ゆっくりと頭を上げた祐巳さまは、なおも続ける。
「こちらとしてもあまり事を大きくしたくはありませんので、穏便に済ませて頂けると助かるのですが」
「はあ? アンタの詫びひとつで許せとでも言うつもりか」
「まあ、そういう事になりますね」
「俺らはそいつに散々コケにされたんだ。それで納得できるわけねえだろ」
そう言って男は祐巳さまの襟元を掴み上げる。
おいおい、いくらなんでもやりすぎだろう。
「ちょっと――」
「いいの」
「え?」
「大丈夫だから。ね?」
「……はい」
咄嗟になんとか出せた声も、すぐに祐巳さまによって制止されてしまう。
いつもの穏やかな声色だったけれど、その中には有無を言わせない迫力があって、それ以上何も言えなかった。
祐巳さまは再び男たちに向き直り、淡々と告げる。
「そうですか、それは残念です。でも、ご用件がおありでしたらお早めに済ませられた方がよろしいですよ」
「どういうことだよ」
「先ほど、連れが交番に走ってしまいましたので。警察の方に事情を聞かれれば、こちらもありのままを話すしかなくなってしまいます」
連れというのは由乃さまのことだろう。
きっと暴走しがちな由乃さまに無茶をさせない為に、祐巳さまが役割を分担したに違いない。
男たちも、目撃者の多いここでの警察沙汰はさすがに不利だと理解したのか、ようやく祐巳さまを解放した。
「……チッ。そいつに今後口の利き方に気をつけるようにちゃんと言っとけよ」
「ご理解頂きありがとうございます。この度は本当に申し訳ありませんでした」
もう一度深々と頭を下げる祐巳さま。
男たちが見えなくなった頃にようやく頭を上げた祐巳さまは、まだ動けない私に振り返り、優しく微笑んだ。
自身の恐怖と祐巳さまに対する申し訳なさ、そして祐巳さまが無事だったことに心から安堵した私は、祐巳さまの胸に飛び込んだ。
「祐巳さま! 祐巳さまっ!」
「うん、もう大丈夫だよ」
祐巳さまは優しく私の頭と背中に手を添え、そっと包み込んでくれる。
私は周りの目も忘れて、まるで迷子の子どものように祐巳さまにしがみついていた。
どれくらい経ったのだろう。
ようやく落ち着いた私は、そっと身体を離して祐巳さまを見上げ、照れたようにぎこちなく笑った。
見上げた先の表情はどこまでも優しくて、私の謝罪や泣き顔なんかじゃなく、笑顔を求めているように思えたから。
「祐巳さま」
「ん、なぁに?」
「あの人たちを行かせてしまって良かったのでしょうか? 私が悪かったとはいえ祐巳さまが……」
そう、祐巳さまは被害者なのだ。
発端は私にあるとはいえ、そこだけはどうしても許せなかった。
しかし、あっけらかんと返すその言葉は、どこまでも祐巳さまらしくて。
「私はいいの。乃梨子ちゃんが無事だったら、乃梨子ちゃんを助けることが出来たなら、それでいいんだよ」
「祐巳さま……」
「それに、どれだけ待っても警察なんてこないしね」
「え?」
「だって私、今日はずっと一人だもん」
さらりととんでもないことをおっしゃる祐巳さま。
「いやあ、内心ドキドキだったんだ。あれで引いてくれなかったらどうしようって」
「今日は由乃さまと一緒じゃなかったんですか?」
「由乃さん? ああ、どうしても今日必要な雑誌があるから貸してくれって言うから朝にちょっと会ったけど、5分くらいですぐ別れたよ。今日の令さまとのデートはその雑誌の通りに回るんだってすっごい張り切ってたから」
由乃さんって案外ミーハーだよね、と無邪気に笑う祐巳さま。
しかし私は、全身の感覚が抜け落ちていくような気分だった。
勝手に聞いて、勝手に誤解して、勝手に嫉妬して、祐巳さまにあんな迷惑をかけてしまったんだ。
こういう時は祐巳さまの優しさが逆に辛い。
何も聞かず、何も言わず全てを許してしまう祐巳さまに、私はどう償えばいいのだろう。
「祐巳さまに迷惑をかけちゃってどうしよう、って思ってるでしょ?」
「え?」
「乃梨子ちゃんも意外と顔に出やすいタイプなんだね」
そう言って祐巳さまはくすくすと笑う。
きっと今の私はこの世の終わりみたいな顔をしていることだろう。
取り繕うことも出来そうにないので、私は正直に聞いてみることにした。
「どうすれば、私は祐巳さまに償うことが出来るのでしょうか」
「そんな大げさな……ってことじゃないんだね、乃梨子ちゃんの中では」
「はい」
「……そっか。じゃあここで遠慮するのはかえって悪いね。時に乃梨子ちゃん、これからのご予定は?」
「いえ、特にありませんけど……」
「よし。それじゃ行こうか!」
そう言うが早いか、祐巳さまは私の手を取って駆け出した。
「ちょ、ちょっと祐巳さま!?」
「せっかくの休日の午後、遊ばなきゃもったいないでしょ。今日一日、目いっぱい付き合ってもらうから覚悟しててね」
「そんなことで、いいのでしょうか?」
「そんなこと?」
私の言葉を聞いて急に立ち止まる祐巳さま。
その勢いで繋いだままの私の手をぐっと引き寄せ、真正面から向かい合う。
至近距離でまっすぐ私の目を見据える祐巳さまは、先ほどあの男たちと対峙したときのような、とても真剣な表情を浮かべていた。
「乃梨子ちゃん。大切な人と一緒にいるよりも大事なことって他に何があるのかな」
「え?」
「私は乃梨子ちゃんといることが一番楽しい。乃梨子ちゃんと一緒に笑っていられることが一番嬉しい。だから今日はこれから乃梨子ちゃんと一緒に遊んで幸せになる。……ご理解頂けたかしら?」
「……はい」
「よろしい」
そう言って満足げにうなずいた祐巳さまの表情は、まるで春の日の青空のようにキラキラと眩しくて暖かい、いつもの笑顔だった。
そしてなにげに今、ものすごい告白をされたような気がしたけれど、再び私の手を取って駆け出した祐巳さまの勢いで、そんな思考は一気に吹き飛ばされてしまった。
「ちょ、ちょっと祐巳さま、そんなに引っ張られたら腕が抜けちゃいますって!」
「だったら追いつけばいいでしょ。私はずっとここにいるんだから」
「祐巳さま……」
その言葉に、心の中の霧が一気に晴れていくのを感じた。
きっと大丈夫。
この繋がれた手の感触を忘れなければ、もう見失うことはない。
祐巳さまの温もりを全身に感じながら、私は祐巳さまと一緒に駆け出した。
ちょっぴりシリアスタッチな微ラブって感じでしょうか。
今回はちょっとだけ長いです。たぶん『お弁当』の前後編をまとめてちょっと足が出るくらい。
そんなわけですので、いつもよりさらにお暇な方限定で追記からどぞどぞ。
ある土曜日の放課後。
掃除を終えた私が薔薇の館二階のビスケット扉に手をかけたところで、室内から会話が漏れ聞こえてきた。
「じゃあ明日、M駅に10時ってことでいいよね」
「ありがとう!」
この声は祐巳さまと由乃さまのようだ。
人の話を立ち聞きする趣味もないし、取り立てて気を遣わなければいけない内容でもなさそうだったので、私は特に気にせず扉を開けた。
……のだけれど。
「ごきげん――」
「祐巳さん愛してるっ」
私の目に飛び込んできたのは、二人きりの室内で抱き合う祐巳さまと由乃さま。
何も考えず扉を開いて、しかも最後まで言えなかったとはいえ挨拶付き。これで私の存在に気が付かないわけがない。
抱き合った状態のまま、ゆっくりとこちらを見る祐巳さまと由乃さま。そして扉を開いた状態のまま固まる私。
なんだろう、このシチュエーションは。
「……わっ! わわわわわ」
意外にも一番最初に反応したのは祐巳さまだった。
ぱっと由乃さまから飛びのき、「ご、ごきげんよ~」なんて赤い顔でおっしゃっているけれど、こっちは正直それどころではない。
しばらく状況の整理に躍起になっていると、由乃さまが訝しげに覗き込んできた。
「どうしたの、乃梨子ちゃん。いつまでもそんな所で突っ立って」
「あ、いえ」
そりゃアンタたちが抱き合ってたせいでしょうが、なんてことはもちろん言えない。
「まあいきなりあんなシーン見せられちゃ驚くか。ご安心を。ただのスキンシップよ」
「はあ」
そう言って、由乃さまはひらひらと手を振りながら自分の席へと戻っていく。なんとも堂々としたものだ。
その後すぐにメンバーが揃って会議が始まったのだけれど、正直なにをやったかはまったく覚えていない。
由乃さまはああ言っていたけれど、扉越しに聞こえてきた二人の約束とその直後の抱擁。そしてなにより、あからさまに「マズいところを見られてしまった」って顔をしている祐巳さまを見てしまった私は、安心など出来ようはずがなかった。
そして日曜日の午後。
私は今、M駅の駅前で途方にくれていた。
考えてみれば、電車もバスもあるこの場所で待ち合わせをした人がどこに行くかなんて、予想できるはずがない。
仮に会えたとして、約束もしていない私が祐巳さまと由乃さまを前にして、いったいなにができるというのか。
せいぜい挨拶をして「偶然だねえ」なんて笑い合って、それでおしまい。
たった、それだけ。
「はあ、なにやってんだろ……」
なんだかんだと自分の中で理由をつけてここまで来たものの、結局私はなにがしたかったのだろう。
いつだってそうだ。あの人に少しでも近付きたくて追いかけるけれど、どこまで行ってもあの人を見つけることができなくて。
そして私はまた誰もいない場所で立ち尽くすのだ。見失ってしまったあの人の背中を探して。
「ばっかみたい」
だいたい、祐巳さまと由乃さまのデート現場なんて目撃して、心穏やかでいられるわけがない。
なにも自分からノコノコと止めを刺されに行かなくてもいいじゃないか。
うん、今日はもうさっさと帰ってしまおう。
「誰が馬鹿だって?」
踵を返して歩き出そうとした瞬間、後ろから声をかけられた。
その声の方に振り返ってみると、そこには見知らぬ男性が二人、下品な笑みを薄く浮かべて立っていた。
育ちの悪さを全身で表現しているようなその二人組は、どうやら先ほどの私の独り言を自分たちに対する言葉と受け取ったようだ。
誤解を受けさせてしまったことは大変に申し訳ないけれど、今はお願いだからそっとしておいて欲しい。
「さあ、誰のことでしょうね」
「おいおい、ちょっとその態度はないんじゃないの?」
こういう手合いには下手に出ておくべきだったと思ったけれど、時すでに遅し。
そっけない態度で立ち去ろうとした私がお気に召さなかったらしく、行く手をふさいできた。
ああもう、邪魔くさいったらありゃしない。
「別に貴方たちに言ったわけではありません。仮に思ってても、わざわざ言うわけないじゃないですか」
「どういう意味だ、それ」
くそ、また一言多かった。
男たちの顔から笑みが消える。どうやら完全に火に油を注いでしまったようだ。
これ以上の話し合いはいろんな意味で危険だと判断した私は、今度こそ強引に話を打ち切ってしまうことにした。
「なにをそんなに怒ってるのか知りませんが、私は急いでるのでこれで失礼します」
そう言って、私は前をふさいでいた男たちを押し退けるようにして歩き出す。
このとき私は、いざとなったら足のすねか、ちょっとはしたないけれど股間でも蹴り上げて逃げればいいやと軽く考えていた。
しかし、人間という生き物は往々にして自分が期待しているほどの性能は発揮してくれないもののようで。
「おい、まだ話は終わってねえよ!」
男の一人に強く肩口を掴まれた瞬間、私の身体は何一つ言うことを聞いてくれなくなってしまった。
初めて体験する年頃の男性のその力は、私の都合のいい想像なんかとは比べ物にはならないほどのリアルな恐怖と緊張を全身に伝えてくれていた。
私は今更ながら、自分が取り返しのつかない事態へと踏み込んでしまっていることを自覚した。
「お待ちなさい」
唐突に響いた凛としたその声に振り返ると、そこにはなんと祐巳さまの姿があった。
その表情は今までに見たことがないくらいに真剣で、いつものツインテールではなく、後ろで一つにまとめられた髪型と相まって、とても大人びて見えた。
祐巳さまは、いまだ声すら出せないでいる私を横目で小さく確認して、かばうようにすっと私と男たちの間に入る。
「なんだよてめえは」
「私はリリアン女学園で生徒会長を務めさせて頂いている、福沢と申します。この度はうちの後輩がご迷惑をおかけしたようで、大変申し訳ありませんでした」
そう言って深々と頭を下げる祐巳さま。
しかし男たちは、若干の困惑の色はあるものの、依然その鼻息は荒いままだ。
ゆっくりと頭を上げた祐巳さまは、なおも続ける。
「こちらとしてもあまり事を大きくしたくはありませんので、穏便に済ませて頂けると助かるのですが」
「はあ? アンタの詫びひとつで許せとでも言うつもりか」
「まあ、そういう事になりますね」
「俺らはそいつに散々コケにされたんだ。それで納得できるわけねえだろ」
そう言って男は祐巳さまの襟元を掴み上げる。
おいおい、いくらなんでもやりすぎだろう。
「ちょっと――」
「いいの」
「え?」
「大丈夫だから。ね?」
「……はい」
咄嗟になんとか出せた声も、すぐに祐巳さまによって制止されてしまう。
いつもの穏やかな声色だったけれど、その中には有無を言わせない迫力があって、それ以上何も言えなかった。
祐巳さまは再び男たちに向き直り、淡々と告げる。
「そうですか、それは残念です。でも、ご用件がおありでしたらお早めに済ませられた方がよろしいですよ」
「どういうことだよ」
「先ほど、連れが交番に走ってしまいましたので。警察の方に事情を聞かれれば、こちらもありのままを話すしかなくなってしまいます」
連れというのは由乃さまのことだろう。
きっと暴走しがちな由乃さまに無茶をさせない為に、祐巳さまが役割を分担したに違いない。
男たちも、目撃者の多いここでの警察沙汰はさすがに不利だと理解したのか、ようやく祐巳さまを解放した。
「……チッ。そいつに今後口の利き方に気をつけるようにちゃんと言っとけよ」
「ご理解頂きありがとうございます。この度は本当に申し訳ありませんでした」
もう一度深々と頭を下げる祐巳さま。
男たちが見えなくなった頃にようやく頭を上げた祐巳さまは、まだ動けない私に振り返り、優しく微笑んだ。
自身の恐怖と祐巳さまに対する申し訳なさ、そして祐巳さまが無事だったことに心から安堵した私は、祐巳さまの胸に飛び込んだ。
「祐巳さま! 祐巳さまっ!」
「うん、もう大丈夫だよ」
祐巳さまは優しく私の頭と背中に手を添え、そっと包み込んでくれる。
私は周りの目も忘れて、まるで迷子の子どものように祐巳さまにしがみついていた。
どれくらい経ったのだろう。
ようやく落ち着いた私は、そっと身体を離して祐巳さまを見上げ、照れたようにぎこちなく笑った。
見上げた先の表情はどこまでも優しくて、私の謝罪や泣き顔なんかじゃなく、笑顔を求めているように思えたから。
「祐巳さま」
「ん、なぁに?」
「あの人たちを行かせてしまって良かったのでしょうか? 私が悪かったとはいえ祐巳さまが……」
そう、祐巳さまは被害者なのだ。
発端は私にあるとはいえ、そこだけはどうしても許せなかった。
しかし、あっけらかんと返すその言葉は、どこまでも祐巳さまらしくて。
「私はいいの。乃梨子ちゃんが無事だったら、乃梨子ちゃんを助けることが出来たなら、それでいいんだよ」
「祐巳さま……」
「それに、どれだけ待っても警察なんてこないしね」
「え?」
「だって私、今日はずっと一人だもん」
さらりととんでもないことをおっしゃる祐巳さま。
「いやあ、内心ドキドキだったんだ。あれで引いてくれなかったらどうしようって」
「今日は由乃さまと一緒じゃなかったんですか?」
「由乃さん? ああ、どうしても今日必要な雑誌があるから貸してくれって言うから朝にちょっと会ったけど、5分くらいですぐ別れたよ。今日の令さまとのデートはその雑誌の通りに回るんだってすっごい張り切ってたから」
由乃さんって案外ミーハーだよね、と無邪気に笑う祐巳さま。
しかし私は、全身の感覚が抜け落ちていくような気分だった。
勝手に聞いて、勝手に誤解して、勝手に嫉妬して、祐巳さまにあんな迷惑をかけてしまったんだ。
こういう時は祐巳さまの優しさが逆に辛い。
何も聞かず、何も言わず全てを許してしまう祐巳さまに、私はどう償えばいいのだろう。
「祐巳さまに迷惑をかけちゃってどうしよう、って思ってるでしょ?」
「え?」
「乃梨子ちゃんも意外と顔に出やすいタイプなんだね」
そう言って祐巳さまはくすくすと笑う。
きっと今の私はこの世の終わりみたいな顔をしていることだろう。
取り繕うことも出来そうにないので、私は正直に聞いてみることにした。
「どうすれば、私は祐巳さまに償うことが出来るのでしょうか」
「そんな大げさな……ってことじゃないんだね、乃梨子ちゃんの中では」
「はい」
「……そっか。じゃあここで遠慮するのはかえって悪いね。時に乃梨子ちゃん、これからのご予定は?」
「いえ、特にありませんけど……」
「よし。それじゃ行こうか!」
そう言うが早いか、祐巳さまは私の手を取って駆け出した。
「ちょ、ちょっと祐巳さま!?」
「せっかくの休日の午後、遊ばなきゃもったいないでしょ。今日一日、目いっぱい付き合ってもらうから覚悟しててね」
「そんなことで、いいのでしょうか?」
「そんなこと?」
私の言葉を聞いて急に立ち止まる祐巳さま。
その勢いで繋いだままの私の手をぐっと引き寄せ、真正面から向かい合う。
至近距離でまっすぐ私の目を見据える祐巳さまは、先ほどあの男たちと対峙したときのような、とても真剣な表情を浮かべていた。
「乃梨子ちゃん。大切な人と一緒にいるよりも大事なことって他に何があるのかな」
「え?」
「私は乃梨子ちゃんといることが一番楽しい。乃梨子ちゃんと一緒に笑っていられることが一番嬉しい。だから今日はこれから乃梨子ちゃんと一緒に遊んで幸せになる。……ご理解頂けたかしら?」
「……はい」
「よろしい」
そう言って満足げにうなずいた祐巳さまの表情は、まるで春の日の青空のようにキラキラと眩しくて暖かい、いつもの笑顔だった。
そしてなにげに今、ものすごい告白をされたような気がしたけれど、再び私の手を取って駆け出した祐巳さまの勢いで、そんな思考は一気に吹き飛ばされてしまった。
「ちょ、ちょっと祐巳さま、そんなに引っ張られたら腕が抜けちゃいますって!」
「だったら追いつけばいいでしょ。私はずっとここにいるんだから」
「祐巳さま……」
その言葉に、心の中の霧が一気に晴れていくのを感じた。
きっと大丈夫。
この繋がれた手の感触を忘れなければ、もう見失うことはない。
祐巳さまの温もりを全身に感じながら、私は祐巳さまと一緒に駆け出した。